2008年11月 3日 (月)

エピソード13

アドリブプレイには、憧れはあったが方法が全く判らなかった。
プロプレイヤーはどのようにプレイしているのだろうか。哲男は考えたが、答えが分かるはずもなかった。

ある日、4ビートバンドを率いている4+α年生の先輩が、理論講座を行うこととなった。
フュージョンバンドをやっている先輩達も参加しての理論講座は、部室に小さな黒板を持ち込んで行われた。
講座は音階の話から始まった。
「ドレミファソラシという音階があるよね。この音階の一つ一つの音程、つまりギャップは全音、全音、半音、…」
メジャースケールの構造の説明に続き、"レ"から始まる音階、"ミ"から始まる音階など教会旋法の説明が始まった。
先輩達はこの講座が何回目かの参加だったようで、説明を聞きながらも黒板に板書されていくことに対して、
「それは確か…ドリアンで、次がフリジアン…」
とスケールの名前を答えていた。
「次に、メジャースケールのそれぞれの音をルートにしたコードを考えて…」
講座は続いていたが、出だしから哲男は落ちこぼれていた。
全く判らなかった。内容ももちろん、単語が分からず会話自体が理解できていなかった。
こんな事がアドリブするために必要なのかと驚いていた。

講座が終わったときに先輩に質問した。
「アドリブ出来るようになるためには、こういう事を理解する必要があるんですか?」
「一度には覚えられないよな。まぁ、アドリブはコピーからやるのが良いんじゃないか。何か好きなトロンボーンの人のレコード買うか借りるかして、アドリブをコピーしてみろよ。」
と先輩はアドバイスを与えてくれた。

哲男は早速翌日、貸レコード屋に行ってみた。
しかしながらJAZZトロンボーンにプレイヤーがいるのかも判らない状態で、それらを探すのは困難だった。
何よりインストのJAZZのレコードそのものが店にある方が珍しい事だった。
仕方なくレコードショップで新品を探すことにした。探しに行く前にどんなプレイヤーがいるのかを調べた。
J.J.Jhonsonは知っていたが、アドリブをコピーするにはハードルが高すぎると考えていた。
出来れば日本人のプレイヤーを見つけたかった。
本屋によりJazzライフを立ち読みし、一人の日本人Jazzトロンボーンプレイヤーを見つけた。
「この人だ!」哲男は早速この人のレコードを探す為に、レコードショップに向かった。
忘れないように頭の中で、その人の名前を連呼しながら…

「むかい…、向井…、向井滋春。向井滋春。…」

(続く)

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2007年10月 6日 (土)

エピソード12

学部内にはサークルの部室がならんでいる地下室があった。いろいろなサークルの部室が通路を挟んで両側にならんでいた。荷物やゴミが散乱する、決してきれいとは言えないその通路の奥にJAZZ研究会の部室はあった。「行けば判るよ。ウッドベースが目印!」という先輩の言うとおりであった。JAZZ研究会の部室の扉には、使い古されたウッドベースの表板だけが貼り付けてあった。
ノックをして中に入ると、次の瞬間、哲男は言葉を失った。真っ黒なのである。壁、天井そして窓のガラス部分までが黒く塗りつぶされていた。地下でも窓側には吹き抜けがあり、少しは光が入ってくる様になっているのだが、あたかも光を拒絶するようになっている。室内には小さな冷蔵庫があったが、この白物家電も真っ黒に塗られていた。何の意味があるのか判らないが、床と椅子以外はとにかく黒かった。天井には蛍光灯がちゃんとあったが、天井の黒さに光がのまれて薄暗くなっていた。
唖然としていると表情からそれを察したらしき先輩が、一言声をかけてきた。「ズージャはロイクの音楽だから…」全く意味が分からなかった。でも、そのだら~とした雰囲気は、大学のサークルらしいという理由のないイメージに一致していた。
先輩達と話している内に、その場の雰囲気にも慣れてきたので質問をしてみた。「どんな感じで練習するんですか?」そこにいた先輩達はサークルの運営内容について説明をし始めた。サークルは部員同士で演奏したい音楽を決めて、必要なメンバーを部員内で調整してバンドにするという形式で、全員で一緒に演奏することは無いという。バンドも所謂4ビートだけではなく、フュージョンなどをやるバンドもあった。中にはあまり演奏しないで(酒)飲んだり(麻雀)うったりばかりの人も居るらしかった。
「君は、何をやりたい?」と聞かれて、
「やっぱり、JAZZらしいのがやってみたいです。」と答えた。
4ビートというのが、所謂ストレート・アヘッドというジャズのリズムパターンを意味しているという事は、この時点では全く知らなかった。
「じゃ、4ビートだね…」と先輩が言った。「4ビートのバンドは今ひとつしかないから、そのバンドに入れてもらえばいいよ。5年生が仕切っているから、話ししておくよ。」
「お願いします。」哲男は答えた。
先輩は「授業終わったら、部室に顔出すようにしてね。多分誰か居るから。4ビートバンドの練習日も居る人に聞いてみて。」と注意事項を伝えてくれた。
コンピュータも普及していない、携帯電話など存在しない時代である。確実な連絡はフェイス・トゥー・フェイスが基本だった。
翌日、一応楽器を持って部室に行くと、早速練習しようと言う話しになった。
茶室と呼ばれる練習室が、たまたまその日使えることになっていたらしい。譜面がないと吹けない旨を伝えると、その場でささっと簡単に譜面を書いて渡してくれた。基本の曲として渡されたのはインFのブルースと言うらしく「Straight No Chaser」と曲名が書いてあった。8分音符だらけのその譜面は、教則本の音階練習の譜面のように見えた。サックスを手にした先輩が、譜面の見方を教えてくれた。
「8分音符で書いてあってもJAZZの場合は、3連符の最初の2つがタイで結ばれているように演奏するんだ。」なるほどと思った。記譜通りではやっぱり音階練習になってしまうが、3連符イメージで演奏するとJAZZらしい雰囲気になることが判った。そして12小節しかない譜面を、どの様なルールで演奏するものかも教えてくれた。音符の書いてある部分をリフといい、曲の最初と最後に演奏する。その間は各楽器のアドリブソロ、最後のアドリブはベースで、その後4バース…最初はなかなか判らなかったが、何回かやる内に理解できようになっていった。問題はアドリブソロだった。先輩達も適当にと言うだけでアドリブについては何も教えてもらえなかった。

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2007年9月13日 (木)

エピソード11

その日は、ブラスバンドの見学をする日だった。新入生勧誘のときに説明をしてくれた先輩と校内で待ち合わせ、早速移動することとなった。
移動中、先輩といろいろと話しをした。楽器を始めた頃の話しやコンクールで全国大会に行った話し、約50分くらいの移動中話題は尽きなかった。練習場に入ると数名の人たちが個人練習を行っていた。皆、所属する学部は様々であった。一緒に来た先輩も実は同じ学部ではないことを、その時初めて知った。マンモス大学であるが故、各学部の校舎は都内を中心としたいろいろな場所に点在している。それらの場所から練習場までを、皆移動してきて練習しているのだ。
一通り練習中の先輩に挨拶をした後に、マネージャらしき人から参加する上での諸注意について説明があった。いろいろな話しがあったが、一言で言うと堅苦しい内容に感じた。大学生というのはもっと自由に活動するものというイメージを持っていた哲男にとっては、違和感を感じざるを得なかった。半ば学業より練習を優先させるような雰囲気は、特に納得できなかった。サークル以外にもやってみたいことはあるので、後日丁重に入部を辞退する旨を伝えることを決め練習場を後にした。
別の日、ビックバンドの練習も見学に行った。雰囲気はブラスバンドと似たり寄ったりであった。さらに言うと高校生の時と同じような雰囲気がそこにはあった。高校生の時は充実していたが、大学生となった今はもっと自由に音楽に取り組みたいという思いがあった。ブラスバンドのコンクールと同様のビックバンドコンテストというイベントがあるという事は魅力ではあったが、厳しい練習…授業を欠席…単位を落として留年…という図式が頭に浮かび、前向きに考えられなくなっていた。家では留年などもってのほかという雰囲気があったからだ。
優秀な姉は中学、高校、そして大学を非常に優秀な成績で卒業して、一流企業に就職していた。まわりからは幼い頃から良く比較され、ずっと劣等感に嘖まれてきた。それなりには頑張ったつもりだが、追いつくことは不可能だと感じていた。姉は優しく接してくれて小さい頃は遊んだり、いろいろと教えてくれたりもしていたが、本人の知らないところで哲男へのプレッシャーは非常に高いレベルに維持されていた。学校でも、家でも、学業に関しては全く逃げ場がなかった。自分はいつもビリだと感じるのが、当たり前となっていた。そんな自分でも大学へ進学できたのだ、厳しい世界、劣等感を感じるような場所には出向きたくなかった。それが本音だった。
結局、哲男は新入生勧誘の時に最後に話しを聞いた、所属学部のみで運営されているJAZZ研究会への参加を決心した。確かに今までの自分の尺度からは規律正しくないサークルに見えたが、それが今となっては哲男にとって非常に大学生らしい、魅力的な世界に思えたのである。

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2007年8月 5日 (日)

エピソード10

大学の入学式は武道館で行われた。折角だからアリーナ席の前の方に座ったが、あまりに多くの新入生に囲まれて気後れしていた。そのまま、同じ附属高校からの友人に出会うこともなく訳の分からないうちに、入学式は終了した。
最初に大学へ登校したときは、校内の一部がまるで文化祭のように盛り上がっていた。そこには各種サークルの新入生勧誘ブースが、まるでお祭りの出店のように並んでいた。この勧誘イベントは数日間に渡って行われた。やっと大学生となったのだから、サークルに入って楽しまなくてはという気持ちでいろいろなブースを見て回った。中には春はゴルフ、夏はサーフィン、秋はテニス、冬はスキーという、ほとんど何でもありのサークルもあった。ミーハー的なものをあまり良く思っていなかった哲男にとっては、全く魅力の無いサークルでもあった。もともと運動が得意では無かったこともあり、体育会系のサークルはまず除外した。自分にとっては、やはり音楽系か取得したばかりの免許証を生かせる自動車かオートバイ関連のサークルだと考えていた。
いわゆる自動車クラブは残念ながら見つけられなかった。オートバイについても同様だった。やはり音楽だと考えているところにブラスバンドのブースが目に入ってきた。早速、「高校の時にブラスバンドやってたんですけど…」と声をかけてみた。いろいろと説明をしてもらい、1回見学に行くこととなった。どうも練習場所は離れた場所にあるらしい。待ち合わせの約束をしてその場を離れた。
次ぎに目に止まったのは「ビックバンド」サークルだった。高校の先輩も入っているバンドである。早速さっきと同じように「高校の時にトロンボーンやってたんですけど…」と声をかけた。こちらも同じように別の場所で練習しているとのこと。どうやらこの2つのサークルは、学部をまたがった学生で構成されているらしい。こちらも後日見学の約束をしてその場を離れた。
後はあまり興味を引かれるサークルが無かったので帰ろうとしていたときに、一番すみの方で全く勧誘している雰囲気のない机が目に入ってきた。数人が椅子に横向きに座ったままタバコを吸いながら談笑している。机の前には真っ黒なベニヤ板に白い字で「JAZZ」とだけ書かれている。他のサークルにはあるチラシの様なものも見当たらない。机の上には薄汚れたノートが1冊だけ、無造作におかれていた。近くに行っても向こうからは一切声をかけて来そうにない。存在にすら気がついていない様子だった。「なんだ、この人達は…」と思った。暫くするとちょっと離れたところに立っていた人が、「新入生?」と話しかけてきた。「はい。あの~ココは何のサークルですか?」と素直な気持ちで呼びかけに質問で答えた。一瞬の間の後、近くの全員がどっと笑い出した。全く持って意味の分からない笑いであった。「何と失礼な人たちなのだろう…」と哲男は思った。高校生時代の規律正しいクラブ活動で身につけた礼儀作法の考え方からは、かけ離れた目の前の状況にただただ圧倒されるしかなかった。

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2007年7月 7日 (土)

エピソード9

哲男の大学受験は普通とは異なっていた。一般的な受験生より早く試験がやってくる。附属高校の推薦枠を目指した試験である。一応、他の受験生の様に予備校に通っていたが、推薦で何とかなるという甘えた気持ちも持っていた。元々大学受験で苦労したくないという思いで附属高校を受験し入学したのだから、大学受験に必至になるという感覚を持っていなかった。それでも予備校にも通っていたのは根拠のない安心感を得るためであって、当然、必死に勉強をしていたわけではない。
秋にその試験は実施された。試験が終了すると余裕の気持ちが一転、緊張に変わった。想像以上にできが悪かったのである。自己採点では推薦枠にはとどかない状態であった。正式な合格発表は年が明けてからになるので、結果を聞いてから受験の準備を始めるのでは間に合わない。哲男は慌てて受験勉強に力を入れ始めた。
附属高校といっても推薦枠は学年の半分までしかなく、点数が枠にとどなかい場合は足切りになる。成績上位者は国公立や有名大学を目指して推薦を辞退するが、その分が成績下位者にまわされることはないのである。「日々是決戦」というスローガンの予備校で必死に勉強をし始めたが、スタートダッシュに失敗した感は否めなかった。模試でも合格ギリギリラインであった。
勉強の合間に部屋に置いてある楽器ケースが目にはいると、楽器練習に必死になっていた事を懐かしく感じた。遅々として進まない受験勉強が、より気持ちを逃避方向に向けていた。不安な日々は、驚くほど早く過ぎ去っていった。

年が明け正月気分も落ち着いたころ、寒さも身にしみる日々が流れていた。そんなある日、哲男は進路指導のために職員室に呼び出された。第1志望は…、第2志望は…と胸の中で繰り返しつつ職員室に向かった。難しそうな顔をした担当の先生が、職員室の奥の方の席で待っていた。
「先生、お待たせしました。」哲男は声をかけた。「おう、来たか。そこに座れ。」と書類を探しながら先生は言った。探し当てた書類を見ながら先生は話し始めた。「実は…」難しい顔をした先生が嬉しそうな顔になり、話し始めた。「おめでとう…」
推薦枠に滑り込むことが出来たのである。浪人も覚悟していた状況であったので、喜びは大きかった。その日の帰宅後、両親への報告も声が弾んでいた。春からは大学生である。哲男には大学に入学したらやりたい事がいくつかあった。まずは自動車の免許をとること、そして中型自動二輪の免許をとることだ。自動車が先なのには理由がある。元々両親がバイクに乗ることには理解を示していなかったためと、自動車免許取得後の方が二輪免許の取得が楽であることを先輩達から聞かされていたためである。その他には、バイトをして自分で小遣いを稼ぎたいという思いもあった。
小さい頃から乗り物には興味があった。バスだけは酔ってしまうので嫌いだったが、自動車やオートバイは好きだった。高校1年の時に原付免許は取得して50ccのオートバイには乗っていたが、友達が乗る400ccのオートバイやブラスバンドのOBが乗ってくる車に憧れを感じていた。その夜、ハーレーダビットソンやポルシェのオーナーになることを夢に見ながら、ベッドで下校途中に買った自動車雑誌をめくりながら夢の世界に入っていった。

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2007年6月 7日 (木)

エピソード8

中学校の3年間と比較しても、高校入学からの1年間で得たものは圧倒的に多かった。
トロンボーンの技術だけをとっても、中学校3年生の頃とは比較にならないほど上達している。しかし、それだけではない。部活動を通しての同期の仲間との信頼関係、厳しくもあったが先輩方との上下関係や規律、体力的にもかなり鍛えられた。どれをとっても、今の哲男にとっては欠かすことの出来ない経験だった。
高校1年の部活動締めくくりイベントとして、定期演奏会が開催された。哲男は中学校の時に見よう見まねでギターをやっていた事があったので、1曲はギタリストとして参加した。ハードロックが好きだったので、ブラスバンドの中では異質な派手なギター(エクスプローラー)を持ってステージに立った。決してトロンボーンの様に上手くはいかなかったが、何とか乗り切った。3setの演奏会はこうしてあっという間に終わった。それは同時に3年生の引退を意味していた。伝統的に定期演奏会の終了を持って、3年生は現役生活を終了することとなっていた。学生のバンドには年に1回必ずやってくる世代交代である。
世代交代をした翌年、高校2年生となった哲男は技術を磨くことに一生懸命になっていた。部活自体は前年の3年生の人数が多かった為、穴を埋めるのに大変な状況になっていた。もちろん、部の運営を避けていたわけではなく、出来るだけ運営作業を行いながら練習にも時間を割いていたのである。
これには理由があった。習慣的にトロンボーン・パートは、1年生が2nd、2年生が3rd、そして3年生が1stを担当する様になっていた。これは、2ndで中音域を鍛えるとともに、楽典的な側面を学び、次ぎに低音域を鍛えることによって音を安定させ、最終的にこれらの経験を高音域に活かすという育成スケジュールが考慮されているからである。しかし哲男が入部したときには3年生が2人だけであったため、2年生となった哲男は3rdでの育成期間を経験することなく1stの重責を担うことになっていたのである。さらに新1年生としてトロンボーン・パートに入ってきた後輩が、上手かったため一層焦っていた。音域的には哲男の上を言っているし、音色も良く安定していた。面子をかけて上手くなる必要があったのである。
焦る練習は思うほど効果が上がらない為、さらに焦りを生むという悪循環に陥っていった。いろいろ試したことが仇となり、音程も安定しなくなった。後輩達にも下手なくせに1番やってるなどと陰口を叩かれている事にも気がついていた。1年間を通してギクシャクした状態が続いた。野球部の応援もそこそこで、コンクールも予選落ち、指導する先生も替わり、我がブラスバンドは大きな変革期に入っていた。そんな中やっとのことで気持ちに余裕が持てるようになったのは、3年生になってからだった。
新任できた音楽の先生とウマがあったことや最上級生となったこと等いろいろと理由はあるが、一番大きく影響したのは自分は才能に乏しい人間であり、そんなに直ぐには上手くなる筈がないと言うことに気がついたためだった。悪い意味ではない。OBの方々との会話やプロの演奏を聴くようになって、心からそう感じたのである。だから自分は長く努力(練習)を続けるしか上達への道は無いと考えるようになっていた。特にJAZZトロンボーンを聞いたときには、同じ楽器から出ている音とは思えないくらいの驚きを感じた。世間知らずの地方出身者が初めて上京した時の様に、世の中には凄い人がいるもんだぁと感心しきりであった。
そうして焦らない練習は、繰り返して練習することを苦に思わなくなり、十分に考えてから次のステップへ行くという好循環に変わっていった。2年生になった後輩との関係も良好なものとなり、曲によって1stを入れ替えて行う等という気持ちの余裕も出てきていた。しかしながら、高校生活最後のこの年もコンクールは予選落ちと言う結果で、感動を再び皆と共有する機会には恵まれなかったのである。後は定期演奏会をやったら引退だ…そんな気持ちだった。
高校生活最後になる演奏会は、渋谷公会堂で行われた。2000人以上を収容するホールは満員で、演奏会は大成功に終わった。
それはまた、記念すべき第20回の定期演奏会でもあった。演奏曲目の中には、JAZZの名曲「シング・シング・シング」やラテンの「ブラジル」があった。演奏しているときの楽しさはクラシックの曲とは違い、ワクワクする感じがあると哲男は思っていた。そして、進学後はJAZZをやりたいと思うようにもなっていた。
高校の3年間でかなりボリュームの基礎練習、楽曲をこなしてきた。譜面にも強くなり、初見でも大体は対応できるようになっていた。JAZZもまた数年で出来るようになるだろうと、哲男は十分な根拠もなく、そう考えていた。

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2007年5月 1日 (火)

エピソード7

課題曲に続き、自由曲の演奏が始まった。哲男最大の見せ場であったベルトーンの導入部は上手く乗り越えた。中間部の16分音符の刻み、ダブルタンギングも練習の成果があった。後半部分のトロンボーン主旋律、ハイB♭は先輩に任せたが低音を多様した部分はしっかりと演奏できた。曲はクライマックスへ進み、指揮棒が勢いよく振り下ろされ演奏が終了した。会場からは大きな拍手が沸き起こっていた。哲男は身体の力が抜けていくのを感じていた。大きなミスをしなかったのでホッとしていたのかも知れない。後は結果を聞くだけだ。
部員達は楽器を片づけてから会場入りした。ほぼ満席状態であったが、最後部に若干の空きがあった。3年生の女子が主に席に着き、空き席の無かった哲男達は一番後ろに立っていた。通路に腰掛けている部員もいた。ステージでは他校の演奏が始まっていた。一番後ろから見るとステージ上の人は本当に小さく、顔見知りであっても判断が困難だろうと思う程だった。演奏が終わり拍手をした。「上手いなぁ…」哲男は頭の中で言っていた。でも上手い先輩達と一緒だったから多分自分たちは大丈夫だろう。自分だけの力ではこの場所に来ることさえ出来なかっただろうけど、部員全員あつまれば多分何とかなる。去年も全国大会に行っているのだから、今年もきっと行けるんだろうと思い始めていた。
哲男の少し前の席には、3年生の女子の先輩が座っていた。とても厳しい先輩、2年生からそう聞いていた。直接怒られたことは無いが、2年生に対して厳しく指導しているところを偶然目撃したことがあった。様子を窺うと周りの同期の先輩達と談笑している。演奏を終えリラックスムード、いつもの先輩だった。やはり3年生は余裕だなと周りを見渡して哲男は感じていた。2年生の先輩達、普段は哲男達を厳しく指導している彼らは少し様子が異なっていた。演奏前ほどではないが、リラックスしつつも緊張を持続している様なのである。1年生の哲男達は朝からの疲れがどっと出ている者や、先輩達と演奏についての反省を話している者など様々だった。
会場がざわめき始めた。高校の部、結果の発表である。部長とコンマスは既にステージ上に歩み出ていた。結果は司会者によって出演順に、金賞・銀賞・銅賞が告げられる。
「○○高校、…銀賞です!」最初の発表があった。妙に間の空く感じがした。ドキドキ感が助長された。
「△△高校、…銅賞です!」発表は続いた。発表がある度に会場の一部分がどっと盛り上がる。その後に会場全体から拍手がおこる。どっと盛り上がるところは発表された学校のメンバーがいることは明らかで、何処にどの高校が集まっているかが解るくらいピンポイントの歓声が上がっていた。
哲男の高校の発表の時が来た。
「□□高校、…金賞です!」哲男の周りがどっと盛り上がった。一際、大きく盛り上がった。金賞、すなわち全国大会への切符を獲得したのである。哲男は隣にいた同期と抱き合って喜んでいた。両手の拳を振り上げて喜んでいた。ふと前の席で余裕の表情でいた女子の3年生の先輩を見ると、座ったままでいた。周りの殆どの部員が立ち上がって喜びの声を上げているのに、その先輩は座っていた。斜め後ろから見ると、舞台の照明が明るくてシルエットの様になっていた。その時、少し俯く顔から光るモノが落ちるのが見えた。涙…?2年生の先輩達の付近に目をやると、やはり顔を涙でグシャグシャにしている。余裕の表情だった先輩も厳しかった先輩も、ここまで練習など部活で苦しかったに違いない。皆同じなんだ…と哲男は感じていた。気がつくとさっきまで「やったー」と歓声を上げていた哲男も、周りがぼやけて見えにくくなっていることに気がついた。止めどなく涙が出た。自分の苦労が報われたことと、部員の皆が一体になれたことが嬉しくて。

それから後の事は感動のあまりか記憶喪失状態であった。確か学校に戻り、片付けをしたような気はするが…
哲男は、いつの間にか帰途についていた。

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2007年4月 2日 (月)

エピソード6

東京都吹奏楽連盟主催の吹奏楽コンクール(都大会)当日がやってきた。短い期間ではあったが、この間の部員の集中力は想像以上であった。問題であった音の荒れもほぼ問題の無いレベルまで回復していた。もともと元気の良さが売りの様な楽団であったため、音色よりも合わせることに重点を置いていたことが、かえって良かったのかも知れない。
東京都の高校は幸運なことに都大会で杉並普門館という全国大会が行われるホールで演奏できる。高校野球の予選大会で甲子園が使えるようなものである。
哲男はその日初めて普門館を目にした。周りにも大きな建物が点在し、一種独特な雰囲気に包まれている。普門館は高い薄ピンク色の外壁に覆われ、円形のような形をしている。あまりにも大きいため全体の形は近くに寄った人間にはハッキリとは判断できない。そしてその大ホールは5000人(正確には4702名)のキャパシティを持っている。都内最大級の規模である。学校のバスで現地まで送られ、1年生である哲男達は慌ただしく楽器を楽屋付近へ運び込んでいた。周りは他の学校の高校生をはじめ、中学の部や大学の部に出演する中学生や大学生でごった返していた。
一通り搬入が済んだころ、簡単なミーティングが行われた。部長やコンマスからの一言で皆気合いが入り直した感じだった。出演までは若干の時間があった。2、3年生は場内に入り他校の演奏をちょっと聴くことができる。1年生は楽器の見張り番で持ち場を離れることは出来ない。他校の演奏には興味があったが、哲男は会場に入れないことを好都合だと思っていた。既に緊張し始めていたからである。会場は出演者を含む観客で満席状態、5000人近い人を前に演奏した経験などあるはずもなく想像しただけで気分が悪くなりそうだった。見張り番を交代でしている同期の友達と代わる代わるトイレに行って用を足していた。そうこうしている内に部員が集合し始めた。もうすぐスタンバイの時間である。楽屋に向かう哲男を見て気を使ったのか、ある先輩が話しかけてきた。
「緊張しているのか?」
「はい、す、少し…」と哲男は答えた。少しどころではないと言っているような辿々しさのある口調だった。先輩は笑顔を浮かべて言った。
「緊張して当たり前だよ。緊張しない方が変だ。あまり自分だけにプレッシャーを感じない方が良いぞ。俺だって皆だって緊張しているんだから。」
意外だった。先輩達は余裕の表情を浮かべていたので、緊張などとは無縁かと考えていた。先輩達は去年全国大会の経験があるし、都大会ぐらいではナーバスになる筈がないと思いこんでいた。この先輩の言葉で哲男の気持ちはグッと楽になった。
楽屋で音だししてから、舞台裏へと移動をしていた。そのころには周りを見渡せる余裕が出てきていた。舞台には反響版が下ろされていたが、反響版の裏側が異常に広いことに哲男は驚いた。ステージになっている反響版の前部分よりも、後ろ側の方が広いか少なく見積もっても同じくらいの広さがありそうだったのである。
「余裕でキャッチボールが出来そうだ…」と哲男はひとり無意味な言葉を吐いていた。「続きましては…」場内アナウンスが哲男の学校を呼んだ。いよいよ本番である。緊張はピークに達していたが、不思議と脚が震えたり喉が渇くことは無かった。ステージへと歩を進めた。会場が見えてきた。ものすごい観客が、そこにはいた。最後列の自分の席に座ると、観客席が覆い被さるように感じるほどだった。
ステージの照明がジワわっと明るくなり、司会が曲目を告げた。既に緊張感は感じなくなっていた。演奏に集中することが緊張を解すことになったのかも知れない。指揮者の先生が深くお辞儀をした。拍手がおこった。先生はこちらに向き直り指揮棒を上げた。まるで指揮棒の先と全員の楽器が糸でつながれているように、部員は楽器をサッと構えた。指揮棒が振り下ろされると共に、静まりかえっていた会場を音が埋め尽くしていった。
練習の時に先生が言った言葉がある。「音楽…音が楽しいと書くが、決して楽しいだけではない。僕は音が苦しいで音楽(音が苦)と思っている。」演奏者は十二分に苦労を積む必要がある、練習することが如何に大切かを説いた言葉だと哲男は感じていた。中学1年生で初めてトロンボーンに触れてそれなりに練習はしてきたつもりであったが、このクラブに入部してからの方が中学3年間を遙かに上回る練習をこなしてきた。苦しいことも沢山あった。音が汚い、音程が悪いと指摘された事もあった。でも諦めなかった。自分には仲間がいた。だから頑張れた。哲男は積み重ねてきた“苦”を音にしていた。

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2007年3月 3日 (土)

エピソード5

中学校の時には経験しなかったが、ブラスバンドには吹奏楽コンクールというイベントがあった。吹奏楽コンクールは、1年間で定期演奏会と並ぶ大イベントである。前年は予選を勝ち抜き見事に全国大会へとコマを進めた実績があったので、2年連続を目指して当然練習は厳しさを増していった。コンクールでは課題曲と自由曲の2曲を演奏する。練習では先生や先輩から指摘を受けたら赤鉛筆で譜面上にメモを書く様に言われていたが、数週間後には2曲とも譜面全体が真っ赤になっていた。特に自由曲はトロンボーンとしては技術的に困難な要素が含まれる曲であった。ゆっくりしたテンポでppのベルトーンのタイミングとハーモニー、テンポが速くなってからの16分音符のきざみ、後半部分に出てくる5線下のG♭からHighB♭まで用いられているトロンボーン主導のメロディ…。どれをとっても大きな課題であった。2番トロンボーンを担当していた哲男は、幾度と無くベルトーンのタイミングを外したり、刻みのタンギングが追いつかなかったり、メロディの高音を当てられないでいた。
ベルトーンのタイミングについては緊張のあまり唇が硬直して音が出ないことが多かったので、とにかくリラックスして吹くように心掛けた。音出しの時にもppでロングトーンを行う様にして、音の立ち上がりに気を配った。16分音符は通学中や暇なときに「トゥクトゥクトゥク」と念仏のように唱えて、ダブルタンギングの練習をした。しかし後半部分の音域の広いメロディについては、低い音こそ先輩の教則本のお陰で出るようになってはいたが高い音は全くと言っていいほど打つ手を欠いていた。教則本の解説には低音と高音でアンブシュアを変えてはいけない事や、唇をマウスピースに強く押しつけてはいけない事が書かれていたが、実践することは非常に難しいことであった。結局、予選会直前に高音を外すくらいなら音を出さないようにと指示され、泣く泣くHighB♭だけを黙音とすることになった。全体としては1stの先輩が確実に当てるので、問題ないのである。
コンクール予選会は浅草公会堂で行われた。当日は何もかも初めての経験であり、準備も忙しくあっという間に本番が終了した。上手く演奏できたかも良く覚えていないくらい、慌ただしく時は過ぎ、気がつくと結果発表を聞くために客席の最後列のところに仲間と突っ立っている自分がいた。そしていよいよ発表の時が来た。「○○高校、…銀賞です。」「△△高校、…銅賞です。」…コールが続いて、哲男の学校の名前を呼んだ。「□□高等学校…、金賞です!」周りのみんながどっと歓声を上げた。予選通過である。自分はラッキーだと思っていた。実力のある演奏者に囲まれて、個人的には対した実力もないのにコンクールの予選を通過できたのである。個人的には少し冷めた感情を持ちながら、周りの皆に合わせて「やったー」と言っていた。次は東京都大会での演奏になる。都大会まで期間が若干あるので、今度はさらなる練習で自分に納得いく演奏をしたいと哲男は思っていた。
季節は夏の甲子園で盛り上がる頃になっていた。哲男の高校も野球部が前年に甲子園に出場したこともあり、前項が応援ムードで盛り上がっていた。ブラスバンド部は、予選を勝ち抜き続ける野球部をベスト16から応援に駆けつけていた。哲男はそれ程野球が好きでは無かった。父親も家でプロ野球を見ることはほとんど無く、プロレス中継をよく見ていた。そんな環境も手伝って野球というスポーツに興味を持っていなかった。しかし、自分のクラスメートや友人達が参加しているとなれば、話しは別である。自然と応援には熱がこもるのである。ヒットが出たときのファンファーレやかっ飛ばせーコールのコンバットマーチ等など、お馴染みのものから応援用のPOPS曲までいろいろと演奏した。しかし応援が足りなかったのか、野球部は西東京大会の決勝戦を目の前にして敗退してしまった。残念だが仕方ない。野球部の友人とは、「俺たちは駄目だったが、おまえ達は絶対全国大会へ行け!」と逆に応援されてしまった。明日から気持ちを入れ替えて、コンクールの練習をすることを誓った。
翌日の練習で久しぶりに自由曲を合わせたときに、大変な事態になっていることに皆気がついた。音が荒れているのである。野外のしかも野球の応援で大きな音を出していた為に、金管の音が荒れてしまったのである。十分に気を付けていたつもりではなったが、現実はというと予選会のレベルよりも後退していることは明らかであった。皆、元の調子を取り戻すべく、唇の調整に追われることとなった。しかし、都大会までの時間は、十分な基礎練習や調整をする程は残されていなかった。

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2007年2月 1日 (木)

エピソード4

晴れて高校生となった哲男は、また楽器漬けの日々を送っていた。哲男が入学した高校のブラスバンドは、都内でもレベルが高く有名であった。努力の甲斐あって合格した幾つかの高校の中からこの高校を選択したのも、進学校としてのレベルはもちろんブラスバンドが有名であったことが大きく影響していた。
しかし、哲男はブラスバンドへ入部後に2つのことに愕然とする。ひとつは中学校の時のような和気藹々とした雰囲気が皆無であり、文化系のクラブとは思えないほど厳しいその活動内容であった。3年生は神様、2年生は一般人、1年生は人にあらず状態という大学の体育会系のクラブ活動にあるようなその規律の厳しさは、それまで全く経験したことのない世界であった。もう一つは、自分の演奏レベルの低さに気がついたことである。どの楽器を吹く人も驚くほどレベルが高く、中学生の時の自分はただ音が出ているだけのレベルだったと感じたのである。哲男にとってそれはとても練習して追いつける差だとは思えず、自分自身のレベルに対して全く自信を喪失してしまっていた。
最初は入部してから何回目かの合奏練習が終わったときに、顧問の先生にトロンボーンの音が汚い!と指摘されたことに始まる。それまでは余り気にしていなかったが、言われてみると自分は音が汚いし、音域が狭い、中学校の時とはレベルの違う楽譜になかなかついて行けないなど、駄目なことばかりが判りはじめてしまったのである。しかし落ち込んでいる暇などは無かった。クラブ活動は朝練習、昼練習、放課後の練習と1日3回あり、準備や片づけは全て1年生の役割であった。経験者としては最下位レベルであったとしても同期には楽器が初めての仲間もいて、同じ仕事をこなしながら練習に打ちこんでいる彼らを見ていると自分が練習をしない訳にはいかなかった。
そのような毎日の練習により、少しずつではあるが成長していく自分を感じていた。読譜は鍛錬によって身に付き始めたが、肝心の音色や音域、音程は余り改善されていなかった。ある日、3年生の先輩が見慣れない教則本を持ってきた。「これを1からやってごらん。先に進むことを急ぐより、最初のウォームアップの部分に十分に時間をかけて練習するんだ。」と指導を受けた。その教則本はそれまで見たものとは全く異なり、異常なまでに低音を多用するものであった。先輩達はFアタッチメントのついているテナーバストロンボーンを使っていたので比較的楽に低音を出すことができるのだが、自分の楽器はテナートロンボーンでFアタッチメントはついていない。こんな低音出るわけがないと思っていた。しかし、先輩はFアタッチメントを使わずに低音を吹いてみせた。確かに響きはしない音だが、音は出ている。こんな事が可能なのかと哲男は感心していた。自分が出来るようになるとは想像が出来なかったが、その日以降その教則本と毎日格闘することになった。先輩の「高い音を出したければ、低い音を出せるようにすることだ。」という言葉を信じて。

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